飲む・打つ・歌う
番外編
師匠の失敗
ケータイ喪失記1 カメラマンf
Day2 とにかく止めなくちゃ、少々二日酔いの頭を抱えながら、ケータイ会社のまだるこしい案内のアナウンスに従って我が番号の利用を停止させた。
Day3 月曜日である。ケータイがなくともビジネスマンは颯爽と出社せねばならない。 |
ケータイ喪失記2 カメラマンf |
ケータイ喪失記3 カメラマンf |
☆PIKA☆お返事 |
長編ドキュメント再開ですね
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ケータイ喪失記4 カメラマンf
崩れ落ちた瓦礫の中で冷静にロジックを組み直してみる。
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デジカメのろ換え記-1 「俺、来月沖縄に行くから」 あんなもの出ないよと断言していたその成人式から帰宅した息子が言う。 「どうやって、誰と?」 「飛行機だよ」 それ以外の方法はないだろ、誰と行こうが勝手だろとの反発が語気から感じ取れる。 レールと車輪とが奏でる眠りを誘うような単調なリズム。 トランプゲームに熱中する者、他愛もない話に興じる者、 安いウィスキーを口に運びながら遠くの席の女(ひと)を見つめる自分。 目が合いそうになる度車窓に視線を移すと、 深い闇を背景に、通路を挟んだ隣のシートで授業中もかくありなんと眠りこける級友と そして、それほど長くはないが不精に伸ばした髪の自分とが映し出されている。 沖縄、成人という言葉が回想回路のスイッチを入れたようだ。 大学3年の春、就職活動や進学の準備を目前にした頃 鉄研*のY君が、クラスの希望者と他学部の一級下の女子との合同旅行を企画してくれた。 夜行列車と各駅停車の電車を乗り継いで神戸まで行き、そこから沖縄までは船旅、 那覇の民宿に泊まるという格安の旅であった。 (*その頃の鉄研(鉄道研究部)はオタクの感じは全く無く、旅行好きの集まりであった。 オタクという言葉も存在しなかったが) カメラ会社としては今は無いペトリカメラのV6**という一眼レフカメラを持って行った。 露出計もなく、画もぱっとしないカメラであったが大事に使っていた。 (** V6 今となっては素晴らしいネーミングである) 「ビジネスホテルに泊まれば安くあがるぞ」 「パック旅行だからいいの」 「ガイドブックあるぞ」 「何百年前の?」 「10年だよ、たった」 これは流石に学生時代の物ではなく、スポーツクラブのメンバーの結婚披露宴に 那覇まで皆で押しかけた時に購入したものである。 -続く- |
デジカメのろ換え記-2 「外貨購入の申込書だよ」 もうそんな時期か。娘は学校の研修旅行でこの春、南半球に行く予定であった。 子供達の旅行が続くな、この際カメラを新調するか。 家にもカメラは少なからずある、デジカメもある。 コンパクトなデジカメとしてはミノルタのDiMAGE Xを使ってきた。 今はカメラ会社としては存在しない会社の製品だが、屈曲光学系つまりプリズムを使用した斬新な設計で当時としては格段の薄型化を実現したモデルだ。 画素数は200万と今時のケータイのカメラにも遥かに及ばないが、メモ用として割り切れば十分。 ただ電池が長持ちせず、さらに何時頃からか電池交換時に日付と時計がリセットされてしまい、その度に再設定を強いられ非常に使い難くなってしまった。 広角側も35mm判カメラ相当で37mmまでと物足りない。 修理という手もあるが、デジカメはPCやケータイと同じく進歩の著しい商品なので7年間も使用した現用品は色々な面で見劣りがしてしまう。 家族も使え広角も撮れるサブカメラが欲しいと思い続けていたので 買い替えの好機到来ということにしよう。 帰宅時に乗換駅にある家電量販店を覗いてみる。夜遅くまで営業しているので重宝している。 デジカメ売り場には様々、色とりどりの機種があり、迷宮に入り込んだようで何を選んだら良いのか短時間では判別がつかない。 価格のレンジをざっと掴んだ後、数社のカタログを集めてひとまず帰る。 どのメーカーも同じように広角を含んだ機種を揃えているだろうと思っていたが会社によってその扱いが異なることがわかった。 S社は広角は1機種のみ、それも28mm相当から。 P社は多くの機種が広角からのズームを備え25mm相当からというモデルもある。 自分用であれば25mmも良いが、家族には使こなしが難しいだろうななどと思いを巡らす。 (25mmからの機種を買って、28mm相当から使えば良いという声もあるが、その設定が”使いこなし”というものである。) それ程高額の商品ではないが、急ぎでもないので一週間をかけて機種を選定した。 メーカーのホームページ、レビュー記事そして販売店の価格情報を参考にした。 最後の決定要素は値頃感である。 同じ系列店でも店舗によって微妙に値付けが異なることも判明した。 |
デジカメのろ換え記-3 通路だけを境にした別々の二等船室に男子と女子は行儀良く落ち着いた。 神戸を出港した船は時化を避けて瀬戸内海を進み豊後水道から日向灘へと抜けた。 外海に出ると船は大きく揺れた。床が足から離れてしまう空中散歩を幾度となく経験した。 風呂場では揺れの度に浴槽から湯が盛大に溢れた。 トランプで遊ぶグループは時々場所を変え二間(ふたま)を往復していた。 自分も時々ゲームに参加したが車中から気になっていた人とは言葉を交わせず仕舞いだった。 デッキに出てみると潮風が火照った頬に心地良かった。 真っ黒な空と海に波頭が白く不気味に浮かんでは消え、 飛沫が髪から爪先までを濡らしてゆく。 掃除で汚れたモップを船員が投げ捨てた。 モップは海面で柄を一度高くジャンプさせた後、急な速度で左舷を流れて行った。 ウイスキーの酔いとも船酔とも判別がつかぬまま寝付かれない一夜を過ごした。 いつの間にか揺れは収まって静かな航海となった。 その日の午後、名瀬に寄港した。昨夜までの荒天とコントラストをなす快晴の空、 まだ三月だというのに全ての思考を停止させるかのような強烈な日が射していた。 ここで事件が起きたなら、釈明には”太陽のせいだ”が似つかわしい程であった。 |