飲む・打つ・歌う

番外編

師匠の失敗

ケータイ喪失記1 カメラマンf

数年前にクレジットカードを紛失してからこの方、失ったのは若さと頭髪くらいで忘れ物からはとんとご無沙汰していた。
それがである、とうとうやってしまった。

Day1 じゃお先に!と店を出たのはいつだったろう。
電車を降りて 今何時?とスポーツバッグのポケットに手を入れてみたが、まぁネだいたいね!といういつもの感触が無い。
きっと酔っているから見つからないんだろうと思っている自分と、酔っているから失くしたんだよと言うもう一人の自分。
帰宅してバッグをひっくり返しても出てこない。
ついにやってしまったか、スーッと酔いが退くどころか反って廻ってしまうようなめくるめく一瞬。

電源は切っておいたから、パスワードも設定してあるから、中は読まれないだろう......
いやひょっとして電源オンの状態でどこかに置き忘れてあったとしたら、電話帳、メールの文書、嗚呼私のプライバシーは......
内容は白日の下に曝したって......いや曝したくはないけれど、
でも、バッテリーがバテてきてるし、残量も少なかったから......どうしたんだヘイヘイヘイバッテリーはヘロヘロだぜ

パスワード、プライバシー、バッテリーの三つの言葉が弧を描いて酔いと一緒に頭のなかをぐるぐると廻っている。
忘れてしまいたい事が今の私には.......

Day2 とにかく止めなくちゃ、少々二日酔いの頭を抱えながら、ケータイ会社のまだるこしい案内のアナウンスに従って我が番号の利用を停止させた。

昨晩はあの体育館が利用できる最後の練習だったので、練習もその後の飲み会もいつになく大人数であった。
たまたま隣の席に居合わせたRさんも同型同色の携帯電話を持っていることが判りケータイ談義。
そのケータイを突き出してRちゃんとのツーショットの写真を撮ってもらったばかりなのに、どーして。
アラブのお国の方々が魂を吸い取られると写真を怖れていた気持ちが今は合理的に思えてしまう。
 


あの夏、可愛いアンテナがバッグから見え隠れしていたのに
秋、胸のポケットに抱かれていたのに
早春、白いボディーをしっかり握り締めて歩いていたのに
共に過ごした日々が走馬灯のように......
あゝ、愛しの君よ今何処、敵は幾万ありとても君死に給うことなかれ。
いや生きて愉快犯にイタ電、イタメの辱めを受けるくらいなら、バッテリーが無くなって潔く......
でも今は乾電池による延命装置がありますな。

家内に話してみたが、積み立てが灰塵に帰すだけであった。

Day3 月曜日である。ケータイがなくともビジネスマンは颯爽と出社せねばならない。
電車よ遅れるな、今は連絡手段が無いのだから。
出勤途中、他の人のケータイがいつにも増して気になる。隣でかけてる男が憎い は携帯哀歌のフレーズか。

オフィスでもいつもと別段変わった話もなかったから、会社の人に迷惑はかかっていないようで一安心。
これが、取締役辺りからクレームが来ていたなら眼もあてられません。

退社時、財布に死蔵のテレカ(死語か)を引きずり出して自宅に電話するもなかなか通じない。
市外局番と市内局番の区切りが変更されていた事も忘れていた、携帯性健忘症。
会社員にはやはりケータイが必須と家電量販店に立ち寄る。
実物を比べつつラインナップを理解し欲しい機種を絞りこむ。カタログを持って家路につく。

ケータイヘビーユーザーである息子に要求条件を告げ、アドバイスを請う。
推薦機種はこちらの希望と合致。
ところが、ワンセグってなーにときた。
(続かないかもしれません)
 

 

ケータイ喪失記2 カメラマンf

息子に示した条件とは、
キーは文字が老人予備軍にも読み易く、打ちやすいこと
そこそこいけてるデザインであること
そして、デジタルラジオが聞けること
である。

選び出してくれた機種は自分の希望と一致していて血の濃さを感じた時でもあった。
彼は上○彩のファンらしい。私は昔、山○○恵のファン。
そういえば顔のエラ辺りに共通点が、そうここにも争えないものがあるようだ。
ということは将来の結婚相手も山の神に似て.......いやこれだけはある時にキッチリ忠告しておく必要があろう。

違うところ、それはホッカホカの成り立てだが彼が法科の学生であり技術には明るくないところ。
自分といえば商売柄エレクトロニクスにも、身体的には頭も明るい。
ワンセグってなーに への回答なんぞはお易い御用である。
ワンセグ(one segment)とは地デジ(地上波デジタル放送)の一部分にして携帯端末用として方式に予め組み込まれておる。
デジタルラジオも地デジの方式の仲間内であり、ワンセグ受信対応のケータイに組み込みやすい機能であるのだよ、オッフォン!
と知識をひけらかす。
オヤジの面目再躍如。娘にTVドラマ”のだめ”で演奏されていた曲についての薀蓄をかたむけて以来の快挙である。

デジタルラジオは未だ本放送ではなく、その一歩手前の実用化試験放送という段階で、つい最近まで市販の受信機がなかったのだが
先述の理由からケータイのフィーチャーの一つとして実現され始めた。
現状のアナログTV放送で言う7chを使っている。8chに放送がある地域では7chは他のチャンネルの2/3の周波数幅しかない隙間家具的存在だがワンセグ相当で9チャンネル分の情報を送ることができる。
音声や音楽を送るラジオ放送はもともとスリムなのでエステやビューティハウスに行かずともワンセグ帯域当たり2プログラム程を送ることができる。

ただ一般受けするワンセグに比べてかなりオタクの香りがするのがデジタルラジオ。
良い音の放送を提供するけれど認知度が低いという点では、FM放送の黎明期を彷彿とさせるものがある。

FM東京がFM東海であった頃(兄貴は北の海で、妹は南海(みなみ)、俺はと言えばいつも再下位(西海)だった、わッかんねーだろうな)FM東海の他にはNHK FMしかありませんでした。
高校時代、友人から譲ってもらった故障していた真空管式のモノラルFMチューナ(外装は木製)を修理した後ステレオ用に改造し、これもモノラル用だったヘッドフォンをステレオ用に改造して初めて聴いたステレオ放送の音。ベト9だったか、ルーテルアワーだったか、とにかく「心に響きました」。”忘れーられないのー思い出が多すぎるのー”。

Day4 目標は決まった。仕事を終えてお小遣いを握り締めて駄菓子屋、おっとケータイ販売コーナーへ
えーっと、あれ、ない、なんと在庫切れ入荷待ちである。 同好の士、別名ライバル多し。

(無理やり続けるかも知れません)
 

 

ケータイ喪失記3 カメラマンf

(不評につきしばらく時が経ちました。
失くしたケータイの後継機種を決め打ちで買いに行く場面からの続きです。)

昨日はあったのになー、世の移り変わりは速く激しい。
行く川の流れは絶えずして......鴨長明から時は下ってもその真理は普遍である。

これにしようと決めてきたのにそれが無いとなると他の機種ではどーかと気はうつろモードにシフト。
画面は綺麗だけどキーがやたらに狭い物、ろくろ首よろしく使用時に上に伸び上がる物、
鯵の開きのごとく横に(長辺を軸として)開く物と昨日とはなんら変わっていない。浮気心も萎む。
こんなの持ちたくないよー。

次の日も、その次の日も入荷待ち。
無いとなると更に欲しくなるのが人の常。されど、
しばらくケータイ不携帯が続くと、電話器を探さなきゃという不便さの間から、
ワイシャツのポケットが垂れる重さからの自由、
置き忘れる事への恐怖からの自由!
ダイコンよろしく!の買い物指令からの自由!!
今どこにいるの?という人間GPSからの自由!!!
これら偉大なる大統領も予想しえなかった自由達が芽をもたげ、
そして今はケータイ持ってないからという明白な言い訳を栄養素として成長し、
とてつもない解放感となって私を襲いくる。

「今日も欲しい機種がなかったんだよね。
でもさ、ケータイ無くてもそれはそれでやってけるよね。」
「チョッとー、なに言ってんのよー」
音を立てて崩れ行くもの あり。

心に秘めた愉しみは決して口外してはならぬ。
”何より増して自由なものは心の中の思い込み.......”(小椋佳)
 

 

☆PIKA☆お返事

長編ドキュメント再開ですね

本当に、あれほど必要を感じなかった
我々N家でも今は必需品
手元にないと不安な毎日になっています
じゃいあんは違うけど…
いまだにしょっちゅう
不携帯&未確認ヽ(`Д´)ノ

ラーメンズが数年前に歌っている歌詞に一票

 携帯電話を無くして初めて気付いた不便だな
 もう一つ気づいたことは誰にも捕まらない自由
 それでも持ちたい  不思議な人間


返信 2008年02月05日 (火) 01時10分

 

ケータイ喪失記4 カメラマンf

崩れ落ちた瓦礫の中で冷静にロジックを組み直してみる。
何を得ようとし、何を失いかけているのだろうかと。

スポーツの練習に参加するOKを妻から貰うため日々様々な努力と工夫を重ねてきている。
運動そのものは罪ではないけれど、丁度免罪符を買うが如く。
はたまた租・庸・調を納めるが如く。
独断的行動は家庭不和の元、これに限らず合意の形成は共同生活の規範。

貢物と許認可というものは全く微妙なバランスの上に成り立っていて、
この均衡を崩すものは注意深く排除せねばならない。
利便性を忘れおいてケータイ不携帯の開放感に一時(いっとき)酔っていたけれど、
不携帯は平衡を崩す方向に作用し、続けばすぐさま練習には参加できなくなることは明白である。
PIVOT(軸)上に蝋で固定されていたバランス(秤)は不和軋轢の熱によって蝋が溶けだし
イカロスの翼のように螺旋を描いて堕ちる、  失墜。

思い起こせよ自分が何たるかを。バランス感覚こそ自分の本領だったのではないか。
そうよ私は天秤座の人、お誕生日は蠍座に近いけれどー
いいえ私は天秤座の人、バランスだけがとりえなのー

「便利な携帯を予約してきたよ」
「そう」
「日曜日、練習に行ってもいいかな」

Day10
量販店にて希望の機種を購入。
新しい機器(玩具)を入手した時は、帰りの電車の中でマニュアル(取り扱い説明書)を読むのが習わし。
うーむ、機能満載、複雑。

Day11
通勤時にデジタルラジオを楽しむ。局数は少ないけれど、ポータブルオーディオデバイスとしては
カセットテープ式のウォークマンしか知らない自分にとってはとてもクリアーな音質に聞こえる。
受信状況は家から駅まではどうだろうか、会社の周りでは とまるでメーカーのテスト要員のよう。

オフィスのあるビルの入り口で職場の女性に
「何を聞いてるんですか?」と。
「え、クラッシックのデジタルラジオ放送」
「?」
イヤフォンを着けそのコードを垂らしながら歩くおじさんが珍しかったのか。
ダンモ(モダンジャズ)を聞いてスウィングしながら、ちょい悪オヤジを気取って歩くのもいいかも。

Day12
良い音がすると判ると、自宅のステレオに繋いでみたくなる。
イヤフォン端子からの出力は小さいので、手持ちの部品と昔取った杵柄いや半田鏝で増幅器を作る。
ラジオ少年の成れの果てオタクの技あり。
ふむ、FM放送よりは良い音がする。


数週間後
スポーツクラブの練習後の反省会にて
ビールで乾杯、喉越しの平和に感謝しつつ歓談の時、同年代のh氏
「あっ、fさん同じケータイですね」
「えっ、本当だ、じゃ一緒にデジカメで写真を撮ってもらいましょうか」
「Pさん、お願いします」
 

 おそろ〜〜♪


あとがき

物を失くするのは「紛失」ですが、ケータイはあまりに身と一体化してしまっているので「喪失」としました。
無くするのがケータイであれば次を買えばすむ話ですが、今となっては必要も無い事を思いつくまま並べてみました。

理性:それは酔った時にのみその存在を問われる大切なもの
贈り物:相手が必要としている時は感謝されるがそれ以外は疑念を生じさせる厄介なもの

(多分、これで終りです)
 

 
デジカメのろ換え記-1

「俺、来月沖縄に行くから」
あんなもの出ないよと断言していたその成人式から帰宅した息子が言う。
「どうやって、誰と?」
「飛行機だよ」
それ以外の方法はないだろ、誰と行こうが勝手だろとの反発が語気から感じ取れる。


レールと車輪とが奏でる眠りを誘うような単調なリズム。
トランプゲームに熱中する者、他愛もない話に興じる者、
安いウィスキーを口に運びながら遠くの席の女(ひと)を見つめる自分。
目が合いそうになる度車窓に視線を移すと、
深い闇を背景に、通路を挟んだ隣のシートで授業中もかくありなんと眠りこける級友と
そして、それほど長くはないが不精に伸ばした髪の自分とが映し出されている。

沖縄、成人という言葉が回想回路のスイッチを入れたようだ。
大学3年の春、就職活動や進学の準備を目前にした頃
鉄研*のY君が、クラスの希望者と他学部の一級下の女子との合同旅行を企画してくれた。
夜行列車と各駅停車の電車を乗り継いで神戸まで行き、そこから沖縄までは船旅、
那覇の民宿に泊まるという格安の旅であった。
(*その頃の鉄研(鉄道研究部)はオタクの感じは全く無く、旅行好きの集まりであった。
 オタクという言葉も存在しなかったが)

カメラ会社としては今は無いペトリカメラのV6**という一眼レフカメラを持って行った。
露出計もなく、画もぱっとしないカメラであったが大事に使っていた。
(** V6 今となっては素晴らしいネーミングである)

「ビジネスホテルに泊まれば安くあがるぞ」
「パック旅行だからいいの」
「ガイドブックあるぞ」
「何百年前の?」
「10年だよ、たった」
これは流石に学生時代の物ではなく、スポーツクラブのメンバーの結婚披露宴に
那覇まで皆で押しかけた時に購入したものである。
 -続く-
デジカメのろ換え記-2

「外貨購入の申込書だよ」
もうそんな時期か。娘は学校の研修旅行でこの春、南半球に行く予定であった。
子供達の旅行が続くな、この際カメラを新調するか。

家にもカメラは少なからずある、デジカメもある。
コンパクトなデジカメとしてはミノルタのDiMAGE Xを使ってきた。
今はカメラ会社としては存在しない会社の製品だが、屈曲光学系つまりプリズムを使用した斬新な設計で当時としては格段の薄型化を実現したモデルだ。
画素数は200万と今時のケータイのカメラにも遥かに及ばないが、メモ用として割り切れば十分。
ただ電池が長持ちせず、さらに何時頃からか電池交換時に日付と時計がリセットされてしまい、その度に再設定を強いられ非常に使い難くなってしまった。
広角側も35mm判カメラ相当で37mmまでと物足りない。

修理という手もあるが、デジカメはPCやケータイと同じく進歩の著しい商品なので7年間も使用した現用品は色々な面で見劣りがしてしまう。
家族も使え広角も撮れるサブカメラが欲しいと思い続けていたので
買い替えの好機到来ということにしよう。

帰宅時に乗換駅にある家電量販店を覗いてみる。夜遅くまで営業しているので重宝している。
デジカメ売り場には様々、色とりどりの機種があり、迷宮に入り込んだようで何を選んだら良いのか短時間では判別がつかない。
価格のレンジをざっと掴んだ後、数社のカタログを集めてひとまず帰る。

どのメーカーも同じように広角を含んだ機種を揃えているだろうと思っていたが会社によってその扱いが異なることがわかった。
S社は広角は1機種のみ、それも28mm相当から。
P社は多くの機種が広角からのズームを備え25mm相当からというモデルもある。
自分用であれば25mmも良いが、家族には使こなしが難しいだろうななどと思いを巡らす。
(25mmからの機種を買って、28mm相当から使えば良いという声もあるが、その設定が”使いこなし”というものである。)

それ程高額の商品ではないが、急ぎでもないので一週間をかけて機種を選定した。
メーカーのホームページ、レビュー記事そして販売店の価格情報を参考にした。
最後の決定要素は値頃感である。
同じ系列店でも店舗によって微妙に値付けが異なることも判明した。
デジカメのろ換え記-3

通路だけを境にした別々の二等船室に男子と女子は行儀良く落ち着いた。
神戸を出港した船は時化を避けて瀬戸内海を進み豊後水道から日向灘へと抜けた。
外海に出ると船は大きく揺れた。床が足から離れてしまう空中散歩を幾度となく経験した。
風呂場では揺れの度に浴槽から湯が盛大に溢れた。

トランプで遊ぶグループは時々場所を変え二間(ふたま)を往復していた。
自分も時々ゲームに参加したが車中から気になっていた人とは言葉を交わせず仕舞いだった。
デッキに出てみると潮風が火照った頬に心地良かった。
真っ黒な空と海に波頭が白く不気味に浮かんでは消え、
飛沫が髪から爪先までを濡らしてゆく。
掃除で汚れたモップを船員が投げ捨てた。
モップは海面で柄を一度高くジャンプさせた後、急な速度で左舷を流れて行った。
ウイスキーの酔いとも船酔とも判別がつかぬまま寝付かれない一夜を過ごした。

いつの間にか揺れは収まって静かな航海となった。
その日の午後、名瀬に寄港した。昨夜までの荒天とコントラストをなす快晴の空、
まだ三月だというのに全ての思考を停止させるかのような強烈な日が射していた。
ここで事件が起きたなら、釈明には”太陽のせいだ”が似つかわしい程であった。