10/19  祖母逝く。。。

 入院していた祖母が亡くなった
 激動の一世紀近くを生きてきた
 現代に安穏と生きる私には
 絶対に超えられない存在の人だった
 
 今年に入ってから身体が自由に
 動かなくなるまでは元気いっぱい
 かなり気の強いことを言っていたが
 夏に叔母の家に来るころには
 風船のようにしぼんだ祖母を
 目の当りにして「老い」という現実に直面
 自分でも不思議なほど動揺して
 しばらく声をかけられなかったほどである

 

 
 食べることの大好きだった祖母も、肺に水がたまりだしてからは好きなように
 食べることもできずつらかったろう、
 周りの我々も好きに食べさせてあげたいが、食べたあとのむせや咳き込みの
 苦しさを考えるとそんな状態にはしたくないしとかなりのジレンマだった
 意識は秋ごろまではっきりしていたので祖母が一番つらかったろう
 最後のころには周りの人もなかなかわからないようになっていたらしい
 私も秋になり仕事で時間がとれずやっと来週夫婦で行くといっていた矢先
 いとこからの知らせが入ったのだった
 身内には見取られず一人で明け方眠るように逝ったそうだ
 
 祖母は昔から何かを持っている人だった
 きっと科学的には証明できないことなんだろうが特別の感を持っていた
 身内に何かあったとき、たとえば人生の転機に悩んでいたり、
 精神的にどん底で立ち直れないでいるとき、また大病をして入院をしたとき
 心配させたくない一心で祖母には知らせないことが多かったのだが
 必ずといっていいほど祖母のほうから電話が来る
 「こんな夢見たんだけど○○ちゃん元気にしてるかい??」
 私が就職して数年、仕事に憤りを感じて心が壊れそうになったことがある 
 病院にも入院し鬱々としていた時期にも母にそんな電話があったらしい
 気持ちが落ち着いてから祖母の顔を見に行くと手放しで喜んでくれた
 「○○ちゃんが海にうつぶせに浮かんでいる夢を見て、呼んでも呼んでも
 動かなくてとっても心配して

  いたんだよ」
 背筋が寒くなった
 それは怖いほど良く当たる
 「感」だった
 
 そんな経験が妹にも
 いとこたちにも多くあった
 だからもしかすると逝くときには何か合図をくれるかもしれない
 みんな少なからずそう思っていたのだが祖母は来なかった
 百年近い時間を生きてきっと疲れてしまっていたのだろう
 向こうではのんびりしていてほしいね。。。みんなでそんな話をした
 

祖母の希望で 子供・孫・ひ孫身内だけでのお別れをした

哀しくないといえばうそになるが、苦しみから解放されてよかった
お疲れ様という気持ちのほうがやはり強い

大往生に献杯