1/24   唯一の金メダル〜イナバウア〜   
   
 [トリノ 23日 ロイター] トリノ冬季五輪フィギュアスケートは23日、女子のフリーを行い、ショートプログラム(SP)3位だった荒川静香がフリートップの125・32を出し、合計191・34点で五輪フィギュアスケートでの日本人初の金メダルを獲得した。2位はサーシャ・コーエン(米国)、3位はイリーナ・スルツカヤ(ロシア)。村主章枝は4位。安藤美姫は15位だった。
 【トリノ23日共同】トリノ冬季五輪第14日の23日(日本時間24日)、フィギュアスケート女子で荒川静香(24)=プリンスホテル=が金メダルを獲得し、不振が続いた今大会の日本にようやく初メダルをもたらした。五輪フィギュアでアジア選手の優勝は史上初の快挙で、日本選手のメダルは1992年アルベールビル大会銀の伊藤みどり以来2個目。

 冬季五輪で日本の金メダルは2大会ぶり通算9個目。荒川は、女子では98年長野大会フリースタイルスキー・モーグルの里谷多英に次いで2人目の金メダリストになった。
 村主章枝(25)=avex=は4位で惜しくもメダルに届かず、安藤美姫(18)=愛知・中京大中京高=は15位。サーシャ・コーエン(米国)が2位、イリーナ・スルツカヤ(ロシア)が3位だった。
 ショートプログラム(SP)で3位につけた荒川は、この日のフリーでもイタリア歌劇「トゥーランドット」の曲に乗り、難度の高いプログラムをほぼ完ぺきにこなして最高得点をマーク。SP1位のコーエン、同2位のスルツカヤを鮮やかに逆転した。村主は2002年ソルトレークシティー大会5位に続く入賞。安藤は五輪初となる4回転ジャンプに挑んだが転倒、その後もミスが相次ぎ順位を下げた。
 荒川は16歳で出場した長野大会で13位。ソルトレークシティー大会は代表を逃したが、04年世界選手権で優勝。優雅で伸びやかな演技で五輪でも世界の頂点に立った。

 静かに響く君が代を、そっと口ずさんだ。98年長野五輪用に世界的指揮者、小沢征爾率いる「サイトウ・キネン・オーケストラ」が制作したフィギュア用のもの。その時も女子代表だった荒川が、8年の時を経て五輪の舞台で奏でさせた。
 「ビックリのひと言。まさか私が取れるとは思っていなかった。いまだに、ちょっと信じられません」。笑顔が、ぎこちない。優勝の実感をどう表現していいのか…。狂喜乱舞する周囲をよそに、新女王の視線は宙をさまよった。
 直前の夕食。テーブルに「粘っこさを出すため」の納豆と「転ばないように」と俵形のおにぎりが用意された。さりげないスタッフの気遣い。前日、還暦を迎えた佐藤久美子コーチの誕生日の席では、うなぎ1匹を丸ごと平らげた。「余計なことは考えなかった」。周囲への感謝の念と平常心が、最高の演技を生んだ。

 最初の3−2回転連続ジャンプを無難に決め、続く3−3回転は「跳んだ瞬間にバランスを崩したから」と即座に後半を2回転に変えた。コンビネーションジャンプを連続して失敗したコーエンとは好対照な冷静な判断。3秒間、求められるスパイラルでは「ワン・アイスクリーム、ツー・アイスクリーム…」と数えながら消化。技術点には反映されないが、あえて取り入れたイナバウアーで観客の拍手を誘った。
 「これがスケート人生の集大成になるんだなと思いながら滑ってました」。他の追随を許さぬ演技に、場内はスタンディングオベーションの嵐に包まれた。コーエンを抜き3人を残してトップ。最終滑走のスルツカヤが挑んだ、ロシアの史上初となるフィギュア全4種目制覇の野望が打ち砕かれた時、歴史が刻まれた。
 スキーがしたかった5歳の時。「込んでいるから」と連れて行かれたスケート場で競技に出会った。6歳で4泳法をマスターし、将来を嘱望されていた水泳はスパッとやめた。「あとはタイムを縮めるだけ。でもフィギュアはまだできないことがいっぱい。その方が面白い」。既に中学1年で3回転ジャンプを5種類マスターし「天才」と呼ばれた少女は常に困難を楽しんできた。それはここトリノでも変わらなかった。
 「運命の曲」に身を委ねた。イタリアオペラの巨匠プッチーニ作曲「トゥーランドット」は、04年の世界選手権で優勝に導いた曲。青と水色の鮮やかな衣装で冷酷なトゥーランドット姫の心が解かされる瞬間を演じた。「この曲で世界王者になったしスケートが楽しいと思えた。今回は最高のものに手が届いたし、やっぱり運命を感じました」。開会式でパバロッティが熱唱したのが劇内の「誰も寝てはならぬ」。まるでそれは、夜を徹してテレビにくぎ付けにされた日本のファンへのメッセージ。劇場のスポットライトは、荒川のためだけに用意されていた。【今村健人】

[ 2006年2月25日9時47分 ]

Yahoo!ニュース

こちらから引用させていただいています